越前(福井県)・加賀(石川県)の戦国大名・朝倉家の重臣。名は教景(のりかげ)だが、出家して宗滴(そうてき)と名乗る。
朝倉貞景、孝景、義景の3代の当主に仕え、長く朝倉家を支えた。宗滴の談話を部下が筆録した『朝倉宗滴話記』には、合戦の経験談のほか、戦国武将や武士の心得などが遺されている。1477年(月日不詳)~1555(天文24)年9月23日。
まず、ここで注目すべきは調査の範囲だ。現代とは異なり、調査方法は"人の見聞き"しかなかったこの時代に、東は関東から西は中国地方と、かなりの広範囲から情報を得るべく、北陸から遠く離れ、対峙する可能性が低い地方まで人を派遣していたという。宗滴が情報収集をいかに重要視していたかがわかる。
また、収集した情報の分析も的確だった。宗滴は、「人の使い方が上手な武将」として、駿河(静岡県)の今川義元、甲斐(山梨県)の武田信玄、越後(新潟県)の長尾景虎(後の上杉謙信)、安芸(広島県)の毛利元就、尾張(愛知県)の織田上総介(後の信長)などの名を挙げている。その頃の彼らは、宗滴から見れば、まだまだ"若手"といった存在だったが、いずれも、後世に名を残すことになる名将たちである。
宗滴の場合、情報収集は「朝倉家の脅威を取り除くこと」を目的としていたが、現代ビジネスに置き換えれば、「企業の安定・発展のためのリスクヘッジ」といったものになるだろう。現代の情報収集やリサーチの手法は多岐にわたり、得られるデータも大量になるが、その中から必要なものを判断し、正確な分析を加えることで、企業のボトムは安定し発展する。時代は異なるとはいえ、宗滴の情報収集活動は、"家の経営"そのものだったと言えるだろう。
このとき宗滴は、"時の勢い"だけで夜襲を指示したわけではない。そこには情報分析に基づく確かな勝算があった。たとえば、「30万の大勢力とはいえ、すべてが戦の精鋭ではなく民兵も多い」と、相手の内情を正確に把握していた。また、昼間行われた初戦で敵の大将数名を討ち取っていたため、「朝倉強し!という恐怖心が芽生えている」と心理状態を分析していた。さらには、「夜間に急流を渡って攻めてくることはなかろうと油断している」と、タイミングを見極めていた。このように、さまざまな要因を検討した上での決断だったのだ。
このケースは、軍事的な成功例ではあるが、情報を正確に分析し、そして、勢いに乗って作戦を成功させたという点では、現代ビジネスにも十分に生かせるエピソードだ。
「九頭竜川の戦い」以降、宗滴は中央政権(幕府)に頻繁に人を派遣したり、ときには自ら出向き、その関係を深めることに注力する。その後、朝倉軍は各地に遠征しては大名同士の争いを仲介するようになるわけだが、これらはすべて幕府からの要請によるものだった。つまり、宗滴の中央政権接近は、幕府(顧客)の抱える課題を聞くための営業行為であったと考えられる。このあたりが、当時の武将には稀な宗滴のセンスである。
現代のビジネスでは「顧客の立場に立ち、その要望に応えることで自らの立場を上げる」ことは、営業の基本ともいうべきスタンスだが、これを宗滴は戦国時代に実践していた。こうした活動により、朝倉家は幕府との信頼関係を深め、発言力は大いに強まった。
また、近隣国との強力なパイプを築いている。近江(滋賀県)の浅井家とは同盟を結ぶほど緊密な関係を作り上げるなど、ジョイント・ベンチャー的な合弁に成功。また、勢力拡大を狙う天敵・一向一揆に対抗するためには、近隣に敵をつくらないことが第一。そこで、越後の長尾家とも頻繁に書状を交わすことで、身近な脅威を取り除き、宗滴の領国経営は、盤石なものになっていったのである。
宗滴の存命中は周辺諸国も手出しはできず、朝倉家は全盛期を迎えた。一方で、宗滴は内政にも注力し、現代の「社員心得」「リーダーの心得」ともいうべき言葉を数多く遺している。その幾つかを紹介しよう。
(時短・正確性について)
合戦場においては、どんなに大切なことでも文書ではなく、口頭で伝えよ。
これは時間短縮と秘密保持のためである。
ビジネスの基本ともいえる「報・連・相」だが、指示や報告を文章にしていると、場合によっては内容よりも「どのように書くか」に気を取られてしまい、時間をロスすることがある。また、文字では伝わらないニュアンスもある。結果、プロジェクトを遅延させ、ビジネスチャンスを逃し兼ねない。メールや社内掲示板などを利用する機会が多い現代だからこそ、深く考えておきたい言葉だ。
(人間関係について)
嘘をつかず、義理堅く、恥を知ることが大切だ。
なぜなら、重大な任務を命じられたとき、普段からいいかげんなことをしていると信用されない。
「あいつはまた大袈裟なことを言っている」と思われ、誰も協力してくれない。
周囲の人との信頼関係は極めて大切だ。日常的な仕事はもちろん、イザというときにも個々の力を結集できてこそ、成果を挙げることができる。長い年月をビジネスパーソンとして過ごしてきた人にとっても、ここで立ち止まって、あらためて考えてみたい言葉だ。
(部下への態度・パワハラについて)
主人は、家臣から恐れられるだけではだめだ。心から慕われるのが望ましい。
そうでなければ、家臣もいざというときに、命を捨てて主人の役に立とうとはしない。
周囲に厳しくあたるだけでは、組織はうまく機能しない。また近年では、パワハラと受け取られてしまうかもしれない。中高年のビジネスパーソンには、自分が若手の頃に上司から暴言を吐かれた苦経験を持つ人もいるだろうが、それを反面教師として、日頃の言動には注意したい。
(適材適所について)
大工にさせる仕事を庭師にさせる、
庭師にさせる仕事を大工に命じるようなことは、
相手の能力を無視した無能な主人のすることだ。
部下の適正を把握し担務を決めなければならない。逆を行えば、部下のやる気をそぐかもしれないし、業務が停滞することもある。結果、自分の評価を下げることにもなるだろう。
朝倉宗滴ゆかりの地
福井市一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏五代の本拠地。一乗谷城を含む一帯が国の特別史跡に指定されているほか、多くの出土品が 重要文化財 指定を受けている。
一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会
〒910-2153 福井市城戸ノ内町28-37
http://www3.fctv.ne.jp/~asakura/index.html