「部下の気持ちを理解したい」という中間管理職にとって、西郷隆盛は理想の人物に違いありません。一部の歴史学者には、「西郷は思いのほかストレスに弱く、弱点は人事下手だった」と指摘する向きもありますが、果たしてどうでしょう。明治維新の立役者としてだけでなく、民衆を納得させる言葉を持ち、それを行動で示した稀代のリーダーを語る上で、その指摘は説得力がありません。とことん人に慕われ、国家の英雄となった西郷は、自身のまわりの人材をどのように集めたのか。その答えがこの言葉にあります。
人材を採用するとき、
君子と小人との区別を
厳格にし過ぎると、
かえって害を引き起こすものである。
というのは、
世の中で十人のうち
七、八人までは小人であるから、
よくこのような小人の長所をとり入れ、
これを下役に用い、
その力を発揮させるのがよい。
※君子=徳の備わった人/小人=徳のない人
西郷隆盛(軍人・政治家・革命家/1828~1877)
大久保利通、木戸孝允とともに明治維新の三傑と呼ばれる。第二次長州征伐以後、倒幕の指導者として薩長同盟・戊辰戦争に尽力。維新後、新政府の参議・陸軍大将となるも、西南戦争に敗れて城山で自刃した。
■記事公開日:2019/09/24
▼構成=編集部