仕事上の"嘘"は時として、人間関係を円滑にしたり、仕事をスムーズに進める潤滑油になります。また、頑なに正直な人よりも、本音と建前を上手に使い分ける人の方が効率的に仕事を進めて評価されることもある。つまり、程度にもよりけりですが、ビジネスにおける嘘は駆け引きを有利に進める"戦略"にもなるのです。
明智光秀が生きた戦国時代は、まさしく"騙し合いの時代"です。どれだけ上手に相手を騙すことができるかで国の栄枯盛衰は決まりました。ただそれは武士や僧侶といった特権階級の人々に限られており、額に汗して働く農民たちは、食うや食わずの生活でも嘘偽りなく年貢を納めることが義務づけられていました。この言葉はそんな農民の目線に立ち、封建的な社会の常識に逆らう光秀の気概が感じられる名言です。
仏の嘘は方便と云ひ
武士の嘘をば武略と云ふ
これをみれば
百姓はかわゆき事なり
明智光秀(1526~1582)
斎藤道三の家臣・明智光綱の子として誕生。父の逝去により13歳で家督相続。明智城の戦いに敗北し31歳から浪人となる。40歳、越前の大名・朝倉義景に仕える。44歳、織田家臣として本圀寺の戦いに参戦。その後、比叡山延暦寺の焼き討ちに参加。この時の活躍により坂本城主となる。そして57歳、本能寺の変で織田信長を討つも、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗北。敗走中に落ち武者狩りに襲われて負傷し自刃した。
■記事公開日:2020/09/23
▼構成=編集部
疑惑があってものらりくらりでまともに答えようとしない政治家たちがいます。平気な顔をして見え透いた嘘をつき難局を乗り切ろうとする官僚たちもいます。その一方で、庶民(中小企業)たちは、決算を迎えるたびに"節税対策の重箱の隅"を突かれやしないかとひやひやしています。
もちろん納税は義務であり、それを守ることで社会生活は成り立っています。いかに会社の経営が厳しくとも粉飾が正当化されるものではありません。ただ、封建的な戦国時代にあって「その程度の嘘などかわいいものではないか」と言い放った光秀と比較して、これから日本を引っ張ってゆくことになった新しいリーダーには、そうした鷹揚さがまるで見えません。
コロナで右往左往している真っ最中に、消費税増税に前向きな発言をしてみたり、理念は「自助、共助、公助、そして絆」などと空虚なことを言ってみたり...。他人からの借り物のような方便ばかりを並べるのではなく、庶民の目線に立って気骨ある舵取りをし、日本に"麒麟"を導いてもらいたいものです。