リーダーズ・アイ リーダーズ・アイ

リーダーズ・アイ

先のことまで考え過ぎる性格が、会社経営ではプラスに作用する。

結成30周年を迎えた漫才コンビ爆笑問題をはじめ、
40名近い所属タレントを抱える芸能事務所、
株式会社タイタンの代表取締役であり、敏腕プロモーターでもある太田光代さん。
27歳という若さで事務所を立ち上げ、
長年にわたって芸能界の荒波を乗り越えていらした過程には、
きっと大変なご苦労があったことと思います。しかしながら、
そうした気配を全く感じさせず、明晰かつ、明朗にお話しされるその人柄こそが、
押しも押されぬエンターテイメントカンパニーを築き上げた
原動力になっていたのだと、お話しを伺いながら実感しました。

仕事で生きていこうと決心した22歳

中学生のころ芝居に興味があって演劇学校に通っていたんです。とはいえ、そのころは女優になろうと真剣に考えたこともなく、エンターテイメントの世界に足を突っ込むことになろうとは思っていませんでした。実は、高校時代に年の離れた方とお付き合いしていまして、卒業したら結婚しようと話し合っていたんです。で、卒業と同時に先方のご両親にご挨拶に伺ったところ、「せめて20歳くらいまではいろんなことを見聞した方がいいんじゃないの?」とおっしゃられて結婚が延期になってしまったんです。私は、結婚して家庭に入るものと思っていたので、進学も就職も準備をしていません。急にヒマになっちゃって困ったなと(笑)。とはいえ、バイトだけして過ごすのも「ちょっと違うな」と思い、そこで、それまでに何度かスカウトされたことがあったモデル事務所に登録したんです。これが私の人生を変えたきっかけです。

モデル事務所に入って、ミスコンテストに出場して賞をいただいたりしているうちに、次第に仕事の幅が広がってテレビ番組のアシスタントなどもやるようになり、20歳を迎えても忙しく仕事をしていました。さすがに22歳になったときに、お付き合いしていた方から「この先どうするつもり?」と聞かれ、「もう少し待ってください」と言ったのですが、芳しい答えは返ってきませんでした。

そこで私は、「これからは仕事で生きていくしかない」と考え方を切り替えました。ただ、当時はモデルとして仕事をするのは23歳くらいが限界で、そろそろ違うジャンルに転向する頃合いでした。そこに、太田プロダクションからの引き合いがありタレントに転向したんです。同じ時期に所属した新人タレントが7組いまして、松村邦洋くんや彦摩呂さん、亡くなった春一番なども同期です。そうした中に爆笑問題もいたんです。で、「この7組で合同コントをやろうじゃないか」ということになり、打ち合わせを私のアパートでやったところ、なぜかそのまま、爆笑問題の太田光が私の部屋に居ついてしまったわけです(笑)。

爆笑問題の反乱、そしてお詫び行脚に

程なくして太田は、「ビートたけしの再来」などと持ち上げられていい気になっていました。確かにライブはすごい反響があったし、会社の一押しのタレントでした。ところが若気の至りとでも言いましょうか、「俺たちはやりたいことだけをやるんだ!」と言って、勝手に会社を辞めてしまったんです。でも、この世界はそんなに甘いものではありません。3、4年は仕事もなく、どん底の日々を過ごすことになります。

私は最初から「無理だろう」と思っていましたね。確かに実力はあるのだけれど、何の実績も残していない彼らが今出て行っても難しいだろうなと。それに、会社の力でいろいろサポートしてもらっているから仕事がくるわけで、依頼先の担当者にしたって、デビューして1年ちょっとで所属プロダクションを飛び出した連中と信頼関係を結べるはずがありません。いくら才能を振りかざしてみても、結局のところは、この業界で着実に実績を積み重ねてきた会社あっての信頼なのです。

二人はいろいろ考えて、フリー芸人として新人賞レースに参加します。結果、「NHK新人演芸大賞」で大賞を、テレビ朝日の「GAHAHAキング」では10週連続で勝ち抜き王者になり、ようやく再起のきっかけを掴み取ります。再起のきっかけこそ二人の実力で掴みましたが、それは再びスタートラインに立てたというだけで、太田プロに不義理をしたままこの世界で仕事をしてゆくのは不可能です。一度義理を欠いた相手には筋を通さなければならない。これは芸能界に限らず、どんな業界でも同じですよね。そこで私がお膳立てをして、爆笑問題の二人を伴って、太田プロの社長と副社長に誠心誠意お詫びしました。

この時のお詫び行脚は、私としては、二人の不義理を許していただき、再び太田プロでお世話になることが前提でした。ところが後日、太田が「やっぱり会社には戻れない」と言い出したんです。その時は、恰好をつけていろんなことを言ってましたよ。「この期に及んでまだわがまま言うのか!」と心底呆れましたが、太田いわく、「俺たちは、期待されながら会社を裏切って出て行ったわけで、そこで失った信頼を取り戻すのは難しいことなんじゃないだろうか」と。また、「アイツら、売れたらまた調子に乗って出て行くんじゃないか?と思われているうちは、きっと手放しでサポートしてくれないだろう」とも。確かにその気持ちは分かります。かといってプロダクションを移るというのは道義的にも業界的にもご法度だし......とはいえ、太田も田中も営業能力はゼロです。となると、もう私がマネジメントをするしかありませんよね。

事務所の設立と爆笑問題の復活

そこで27歳の時に爆笑問題と三人で、屋号をつけて始めた個人事務所がタイタンです。ゼロからのスタートどころか、完全にマイナスからのスタートです(笑)。それまで営業の経験などありませんでしたが、とにかく仕事をとってこなくちゃならない。そこで、私がタレント時代にお世話になった番組の方々を片っ端から頼ったところ、幸いにも出世されている方が多かったんです。そこで番組を持っているプロデューサーさんをご紹介いただき、そこからさらにディレクターさんにつないでいただきと、1つの仕事を得るために3回くらい足を運ぶことになりました。有難いことなのですが、私も身一つです。これは大変だなと思い、いろいろ考えて爆笑問題のライブを企画したんです。

ライブをやれば、テレビ局や代理店など、ある程度の主要な会社の方々を招待できます。ただこうした場合は、1回きりではダメです。最初のライブはきっと若手のディレクターさんの視察だろうから、話題になっても仕事を得る決め手にならない。受け皿として2回目のライブを用意しておいて、決済権のある人にも観に来てもらわないとキャスティングにのらないと踏んだわけです。決裁権を持つ人に直接アピールする機会を持てるか否か。これは大事ですね。多くの場合、ここで仕事の成否は決まるんです。ところがです。それを二人に話したところ、「なんで2回もやるんだよ!」と猛反対されたんです。

私は爆笑問題のマネジメントをやると決めた時、こう宣言しました。「私はやりたくてやるわけじゃないからね。巻き込まれてしまったからやるだけで、まず、あんたたちが何とかなってくれないと自分のことができないの。だから、いろんな仕事を持ってくるかもしれないけど、私が言うことに関しては疑問があっても文句言わずやってよね!」と。ところが、ライブをやると言った途端に、案の定ブーブー文句を言いだす始末です。結局は、「いいからやるんだよっ!」バン!で、二人とも大人しくなりましたけどね(笑)。でも狙いは当たって、あの2回のライブが"爆笑問題復活"の小さな狼煙を上げることになったんです。

マネージャーの発想から経営視点へ

当初私は「爆笑問題カンパニー」でいいと思っていたんです。マネジメントするのは爆笑問題だけ。彼ら二人と、いろんなことをやろうと思っていたんです。ところがそのうちに、太田が自分を慕ってきた芸人を連れてきちゃったんです。さすがに私は、「それ、無理だから!」と突っぱねました。それはそうです。三人でやっているのと、他人が入るのとでは私の気構えもまるで違います。「あんたたち二人とやるなら、細々と良い関係性を保ちながらやっていけるだろうけれど、他人が入ってくるということは、芸人のみならずその家族のことも考えなきゃならないんだよ。しかも私一人では無理だから人も入れなきゃならないし、責任が全然違ってくるの!」と言ったのですが、なし崩し的に承諾させられたという感じですね。

ただ、一旦覚悟を決めたからには、個人事務所ではなく法人にして、「あそこは爆笑問題の事務所だよね」だけではなく、他にもタイタンから、売れるタレントをつくらなきゃと、私自身の考え方も、マネージャーの発想から経営視点に変わりました。
そうした中から出てきたのが、長井秀和や日本エレキテル連合、橋下徹さんなどです。50%から70%くらいの認知度を持った、いろんなタイプのタレントをつくる。このビジョンは法人化当初から現在まで変わりません。むしろ会社の規模が大きくなった今の方が真剣に考えるべきことでしょう。ただそれは、私一人が頑張っても不可能ですので、各々のマネージャーが当事者意識を持って機会の創出をしていかなければなりません。マネージャーの力量は会社の未来を左右します。

マネージャーは男性的な仕事

最近は、職場における"男女平等"が盛んに言われますよね。原理原則として、それは当然のことです。ただ女性の方も、男性と"力くらべ"をしても仕方がないと思います。体力勝負の仕事となれば、やっぱり男性の方に分があるのは間違いありません。ですから、なんでもかんでも男女平等の旗を振るのではなく、女性ならではのアイディアや工夫、正確さなどが発揮できるようなフィールドに着目すべきではないでしょうか。たとえば、商品開発や広報といった仕事はその良い例で、女性の力が発揮できる仕事だと思います。そうした部署ではどんどん女性が活躍すればいいと思います。逆に、テレビ番組の制作スタッフなどは体力的にかなり厳しいものがありますね。でも"女性ならではのセンス"というファクターが重視される番組も増えているので、今後は働き方を工夫する余地はあるでしょう。ただ、現状では、まだまだ制作は男性的な仕事のように思います。

同じように、芸能事務所のマネージャーも男性的な仕事だと、私は経験的に実感しています。業界内には、女性のマネージャーもたくさんいますが、男性以上に向き不向きが激しくあって、相当自分を犠牲にしている感じが否めません。時間の不規則さが一番のネックでして、女性は体調を崩す原因になります。仮に"働き方改革"で時間を区切ったとしても、ある時は朝早くからで、またある時は夜遅くまで、ということが繰り返されると、女性には辛いものがあります。ですから、タイタンでは女性のマネージャーは採用していません。とはいえ、行政からの"働き方改革推進指導"は私どものような規模の事務所にも入るので、今後は、女性が働きやすくマネジメントができるような環境整備も必要かなとも思っています。

たとえ転んでも、ただでは起きない

周囲は私のことを、「思いついたことをすぐに行動に移してしまう」と思っているようですが、行動に移すまでにはかなり考えているんです。考え過ぎて答えが出せない時すらある。そこが私のマイナス部分だと思っていたんです。ところが、社長業って考え過ぎて悪いことはないんですよ。ああでもない、こうでもないと先の先まで考えて、リスクヘッジのプランまで思い描けてようやく腹が決まる。これまでの実績を考えても、私は社長業に向いていると思います。なので、いろいろ失敗もしますが、それが決定的な痛手にはならないし、やり方を変えて必ず収益に結びつけます。私は転んでも、ただでは起きないんです(笑)。

ただ、考えている時点では、誰かに意見を求めようと思わないので、人にプランを話した時は、「こんなことをやってみたいのだけれど」ではなく、「これをやります」という"決定事項"になっている。ですから、周りの人から、「また突拍子もないことを言い出した」とか「思いつきでやっている」と思われてしまうわけです。それは太田も田中もそう思っているはずです。あの二人は、意外と腰が重いタイプなので、そこを理解して行動に起こすまでに時間がかかってしまう。そのお尻を叩くのが社長の役目です(笑)。

私は名目"社長"ですが、実際には"雑用係"と思っているので、特別にリーダーシップを意識して仕事をしていることはありません。あえて言うなら、肝心なところで自分の意見を押し通せることがリーダーの条件かと思います。映画監督などを見ていても、スタッフに遠慮しながら仕事をしていては務まりません。カメラさんや照明さんなど、いろんなスペシャリストのいろんな意見があっても、「自分はこうしたい」という方向性に、半ば力技でもっていける人、そうした強さを持っていないとリーダーは務まらないでしょうね。またそうでないと、結果的になんだかよく分からないものになってしまうんじゃないでしょうか。それは作品であっても組織であっても同じだと思いますね。

Leader's Profile
太田 光代 Mitsuyo Ota

高校卒業後、モデル活動をスタート。その後バラエティ番組でもタレントとして活躍。1990年に爆笑問題の太田光と結婚。爆笑問題の独立に伴いタイタンを設立。爆笑問題のプロモーションに専念する。その後株式会社化し、所属タレントを増やしながら現在に至る。現在は芸能事務所としてだけではなく、フラワーショップの運営、タイタンの学校事業、タイタンシネマライブの映画館での生中継など、新たな事業にも挑戦し続けている。著書に『爆笑!夫婦問題』(幻冬舎文庫)、『爆笑太田さんちのごはん問題』(ソニーマガジンズ)、『これでスッキリ! ハーブの心療内科』(しょういん)、『奥様は社長 爆笑問題・太田光と私』(文春文庫)他多数。

取材後記

日本に本格的なレストランシアターを。これが太田社長の今後のビジョンです。それは単なる劇場ではなく、お笑いはもちろん、映画、音楽など、あらゆるエンターテイメントを食事やお酒と一緒に楽しめる複合的な"大人の遊び場"だそうです。その将来像を語る中で、「そうした場所をつくればタレントたちが長く舞台に立っていられるじゃないですか」とおっしゃったことが印象的でした。この言葉が意図するものは、所属タレントに対する"責任と愛情"に他なりません。浮き沈みの激しい芸能界に身を置いたタレントたちに、経営者として何が残せるのか。太田社長は、その受け皿を用意しようとしているのではないでしょうか。その真意は推測の域を出ませんが、インタビュー全般にわたって、本質的な"やさしさ"を感じることのできるリーダーでした。

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■記事公開日:2019/07/30 ■記事取材日: 2019/07/19 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=田尻光久

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