リーダーズ・アイ リーダーズ・アイ

リーダーズ・アイ

弟子の活躍で祝福されて喜んでいる自分は、現役プロ棋士として恥ずかしいのではないか。

いずれも劣らぬ天才たちの"静かなる攻防"に手に汗握る将棋の世界。
究極の集中力とあらゆる知力を総動員して、
盤上で激しくしのぎを削り合うプロ棋士の世界とは、いったいどんなものなのか。
将棋を"職業"にしようという者たちの前には、どれほどの苦難と高い壁が待ち構えているのか。
そして、強くなる人たちにはどんな共通点があるのか...。
訪ねたのは、愛知県名古屋市。
不世出の天才・藤井聡太二冠が腕をあげ、今なお拠り所とする"ホーム"であり、
東海地区の将棋の聖地とも言うべき「杉本昌隆将棋研究室」。
今回のリーダーズ・アイは、
現役トーナメントプロにして"日本一有名な師匠"でもある杉本昌隆八段の登場です。

将棋を覚えたのは小学2年生の時です。父親から教わりました。将棋だけではなく、トランプや五目並べなど、ボードゲームの一つとして将棋を教わりました。そんな中でも、駒の動き方に特性がある将棋に興味を持ったんです。とくに桂馬です。桂馬は相手の駒を飛び越えて特殊な動きをします。将棋盤は二次元ですが、立体的に飛び越えられる駒の仕組みが面白いと思いまして、それで将棋が好きになったんです。もし桂馬がなかったら、私は棋士を目指していなかったかもしれませんね。

職業としての"プロ棋士"という存在を知ったのも同時期です。名古屋の将棋大会に出たときに審判長をされていたのが、後に私の師匠になる板谷進九段でして、そこで将棋にプロがあることを知りました。このとき、「将来は自分も将棋のプロになりたい」と思ったのがプロ棋士を志したきっかけです。
プロになるためには、まず奨励会という養成機関に入会しなくてはなりません。奨励会は6級から三段までのランク分けがされていまして、一番下の6級でも、アマチュア将棋なら四段くらいの実力です。
ですから、地元では「敵なし」と言われた少年でも、奨励会に入ると世間の広さを思い知らされることになります。そこから徐々にランクを上げてゆき、三段になると"三段リーグ"に入り、そこで勝ち抜いた二人だけが四段に昇段してプロ棋士として認められます。

奨励会に入ってから、プロになるには平均するとおよそ8年から10年くらいかかるでしょうか。私は約10年かかりましたが、中には15年以上修行してもなれなかった人もいます。藤井聡太は非常に早くて、小学校4年生の10歳で奨励会に入って14歳でプロになりました。これはちょっと極端な例ですね。

修業時代は基本的には無収入です。対局してもお金はもらえませんし、対局する場所は東京と大阪にある将棋会館なので、名古屋に住んでいる私は旅費なども親に負担をかけて移動することになります。もちろんアルバイトなどをしているヒマはありません。言うなれば、奨励会に入って四段になる(プロ棋士になる)、或いは、諦めて辞めるまでは、ずっと受験勉強が続いているような状態です。

将棋で生活が出来るようになったのは、四段になった21歳の時です。そのころ同級生はまだ大学生だったり、高校を出て就職した友人も1、2年目ですので、働いて収入を得るといった意味では平均的だと思います。けれど、将棋の世界では、早い人は10代でプロになる人もいたので20歳の頃が一番焦りがありました。
将棋界には年齢制限がありまして、今は26歳の誕生日までに四段にならないといけません。私の時代は31歳まででしたので、自分は切羽詰まった状況に追い込まれることはありませんでしたが、それでも毎年、誕生日が来るたびに、自分の寿命が縮んでいくような恐怖感に襲われたものです。将棋でプロを目指すというのは、100か0(ゼロ)で真ん中はありません。奨励会も三段ぐらいになると技術もあまりプロと変わりませんが、制度上では四段にならないと日本将棋連盟の正会員としては認められません。厳しく残酷な世界でもあるのです。

ヴェールに包まれた奨励会という鬼門

せっかく奨励会に入っても途中で辞めていく人はたくさんいます。1、2年で辞めてしまう人もいれば、三段まで上り詰めて、あと一歩というところでタイムアウトという人もいます。しかし、辞めるのであれば、早く辞めて次の人生を考えたほうがいいかもしれない。当時はそう考えていました。長く奨励会に身を置いても、結局は「プロになれるか、なれないか」の世界なので、「惜しいところまでいったのに」では何の意味もありません。どれだけ将棋が強くてもプロになれなければ、ただの"将棋が強い青年"で終わってしまいます。
一般的な職業なら、第1希望の会社に入れなくても、第2、第3希望に入れたり、今まで学んできたことを活かす方法があると思いますが、将棋の場合は潰しが効きません。プロ棋士にならなければ将棋の技術を活かして、生活をすることは非常に困難です。今でこそ、将棋ライターなど色々な職業が増えましたが、私が修業していた時代は、「プロになれなかったら、そこから先、俺の人生はない」という覚悟で皆やっていました。

私が奨励会に入ったのは小学6年生のときです。当時は最年少でしたが、同世代では一番強いと思っていましたし、十分にプロを目指せる才能があるとうぬぼれていました。ところが実際には、私より2、3歳上に強い人がゴロゴロいて全く勝てず、中学3年生になるまで一度も昇級出来ませんでした。通常プロになる人は半年に1つぐらいは昇級してゆくものです。遅くても1年に一度は昇級します。私の場合は1つ昇級するまでに2年半もかかっています。さすがにその時は、「プロになる資格がないかもしれない」と悩みましたね。その後も幾度かの浮き沈みがありましたが、18歳で三段になって21歳まで、あと1つ昇段すればプロ棋士の地位が手に入るのに、ぎりぎりで届かないもどかしさが一番辛かったです。

また、自分のこと以外ですと、仲の良かった修業仲間が年齢制限で退会したり、途中で諦めていくことが無念でした。同じ時期にプロを志して、同じように学んできた仲間ですが、学生のように一緒に卒業することが出来ません。一緒にしのぎを削った仲間が去ってゆく姿を見るのは本当に辛かったですね。

異次元の才能・藤井聡太

そういった意味では、奨励会に入ってたった4年でプロ棋士になった藤井聡太はけた違いでした。天才の定義は色々とあると思いますが、彼は規格外の能力を持った分かりやすい天才だと思います。

野球に例えるなら、大谷翔平選手のように160kmを超える球を投げられて、ピッチャーとバッターの両方で活躍できる、誰もがすごいと思う才能ですね。もう少し将棋的に言うと、ある盤面を見た時に短時間で正解を発見する能力が非常に高いんです。早く長く先を読めるというのは棋士にとって一番の能力です。彼の読みの能力は努力して身につくものではありません。あれだけの早いスピードで深く読めるというのは間違いなく異次元の才能です。

アマチュアから見れば、プロはみんな異次元だと思うでしょうが、私たちプロから見ても、藤井は異次元なんです。感性が少し違います。同じ81マスで40枚の駒を扱っているとは思えない、ルールが違うんじゃないかと。もちろんルールは同じなのですが、藤井の発想は「いったいどんな勉強をしたら、こんな手が浮かぶんだろう?」というほど華々しいものです。その才能は今十分に発揮されていると思います。

良かれと思った指導が成長の妨げに

最初の出会いは、藤井が小学1年生の頃のことです。日本将棋連盟が主催する東海地区の研修会での感想戦研究(感想戦=対局者が一緒に対局を振り返り最善手を探す共同作業)で「ここに歩を打たないと、勝ちがないから」と話している藤井を見かけました。普通、小学1年生くらいですと、駒を取ったとか取られたとか、目に見える部分で一喜一憂するものです。ところが彼は自分の"読み"について主張していたんです。このとき「この子は違うな」と思いましたね。

その後、小学4年生のとき、藤井本人と彼のお母さんが訪ねていらして弟子入りの申し出があったんです。弟子入りを承諾したものの、「これは大変なことを引き受けちゃったぞ」と、責任感をひしひしと感じました。順調に育てば、将来タイトルを獲る棋士になる逸材です。そうした期待感がある一方で、途中で将棋が嫌いになって辞めてしまったら将棋界の大きな損失になりますし、それは師匠である私の責任です。

だからといって、彼だけにつきっきりで指導するようなことはしませんでした。彼は非常に高い才能の持ち主なので、プロ棋士の私がつきっきりで指導すればある程度までは簡単に成長することは分かっていました。ただ、それをやってしまうと、無意識のうちに私の考え方や感性を押し付けてしまうことになり兼ねません。指せば指すほど、私の考え方を彼は吸収してゆくはずです。ただ、「それがこの子にとって良いことなのか?」という疑問があったんです。私も棋士として、誇りを持っていますし自信もあります。しかし彼は、おそらく何十年に一人の才能の持ち主ですから、「私の感性は当てはまらないだろう」と、何局か指してみて分かったからです。
良かれと思った指導が、逆に成長を妨げることがあると思うんです。私が子どもの頃、一門の大先輩・大村和久八段に個人的に特訓をしてもらったことがあります。ある将棋祭りの席上対局に出場することが決まっていて、その対局用の作戦をマンツーマンで指導して頂きました。後から思い出しても、それは非常に高いレベルで、とても良い指導でした。でも、当時の私はまだ理解が追い付かず、自分の得意戦法でもなかったので、結果的に不本意な出来で負けてしまいました。
弟子を抱える"師匠"という立場からモノを言わせていただけば、高い技術を伝えたり、それができるように要求して、尻を叩くことだけが指導ではないと私は思っているんです。大事なことは、自分の頭で考えて、考え抜いたその一手に自信を持って勝負に臨み、トライ&エラーを繰り返す中で、自分なりのスタイルを主体的に築いてゆくよう仕向けることです。そのスタンスは藤井だけでなく他の弟子にも同じです。

藤井フィーバーの陰で目覚めた矜持

藤井聡太という逸材は、史上最年少の14歳2か月でプロデビューして、そのまま無敗で公式戦最多の29連勝を達成しました。その後も順調に勝ち星を重ねて、先ごろ、棋聖と王位の二冠を、これまた最年少で達成するという快進撃を続けています。
弟子の活躍は師匠にとって喜びですから、彼が注目されることは非常に誇らしく思っています。同時に私自身、色々な取材を受ける機会が増えて、「おめでとうございます」と言われ、「ありがとうございます」と応えることが多くなりました。ただ、あるときふと、"自分が活躍したわけではないのに祝福されて、お礼を言っている自分"に違和感を覚えたんです。弟子の活躍で祝福されて喜んでいる自分というのは、「現役のプロ棋士として恥ずかしいのではないか」、そんなふうに考え始めたのが3年くらい前のことです。

将棋の世界には明確な定年はありませんが、概ね60代で引退されます。リアリティを持って昇級を狙えるのは30代ぐらいで、40代以上で活躍されている方はトップ棋士の方を含めてほんの一握りです。50代になれば漠然と引退も見えてくるので、「さらに上を目指します」とは口にしにくくなります。ただ私の場合は、幸か不幸か、藤井のことで取材を受けると私自身のことを聞かれることもあったので、そこで「藤井に負けないような活躍をしたい」と話すことがありました。あまりそのようなことを口にするタイプではなかったのですが、口にしてしまった以上、「結果を出さないと恥ずかしい」と思うようにもなり、それが"私自身の将棋"にとっては良かったんじゃないかと思っています。50代になってから昇級出来たのは、藤井の活躍によって自分の置かれた環境が変わり、さまざまな刺激を受けたからだと思っています。

正直なところ、4、5年前の私は将棋人生で上を目指すことを諦めかかっていた時期もあったんです。「40代後半だから仕方ない」と考える自分がいる一方で、「でもそれは言い訳なんじゃないか?」と叱咤する自分もいた。理屈では分かっていたんですけどね、それをはっきり悟ったのは藤井の活躍を目の当たりにしてからですね。

弟子の存在が頑張る原動力

藤井に限らず、強くなる子に共通しているのは負けず嫌いであること。少し言い方を変えれば、将棋が何より好きであることです。私の研究室に通ってくる生徒を見ていても、将棋を指している時は一生懸命でも、対局が終われば控室でスマホのアプリで遊んでいるような子もいます。でも、奨励会に入るような子はほぼ例外なく、対局が終わった後でも将棋に関わることをやっています。詰め将棋を解いてみたり、新たに違う相手と対局を始めたり、常に将棋に関わり、将棋に浸っている。そうした子が強くなります。ただ、ここまではプロ棋士を目指す上で"こうあって然るべき"という、いわば姿勢の問題です。最終的に決め手となるのは、その子の"性格"です。
才能はあるのだけれどプロには向いていない、勝負師向きではない、そんな子がたまにいます。それは負けたときに垣間見える態度です。負けた事実を正面から受け止められず、言い訳や理由付けをしてへそを曲げてしまい感想戦に身が入らない。勝負に対して謙虚な気持ちを持てなければ強くなれません。だからといって、頭ごなしそれを指摘しても彼らはそれを受け入れない。企業の上司と部下の関係ではありませんが、将棋の師弟関係といえども、今はそうした時代です。

だからこそ、私自身が普段から将棋に全力で取り組むことが何より大事なことなのです。なぜなら、弟子たちは私の将棋を必ず見ています。あれこれ言葉で言うよりも、彼らは私の将棋との向き合い方からいろいろなことを学び取っています。それが結果として、アドバイスに繋がるんじゃないかとも思います。現役ですし将棋の師匠ですから、"今の自分に出来る最高の内容の将棋をすること"こそが、弟子に対する最良のメッセージになるんです。裏を返せば、弟子たちの存在が自分を頑張らせてくれているのです。

藤井聡太に続く棋士をここから!

私は愛知の名古屋で生まれて育ったので、地元に対して愛着を持っています。東海地区は昔から将棋が盛んで強い少年も多い地域です。大会を企画すればたくさんの子どもが参加しますが、残念ながらプロ棋士の数が非常に少ないのです。
そうした中、私の師匠(板谷進九段)はかねてより、孤軍奮闘でご自身の対局と普及活動を一身に背負っておられました。ところがその志半ば、47歳で亡くなられました。当時の私は19歳で、まだ奨励会の三段で足踏み状態。プロにはなれていません。将棋の世界で言われる"師匠への恩返し"は、プロになった晴れ姿を見せることです。つまり私は師匠に恩返しが出来ぬままお別れをしてしまったわけです。
そのことをずっと引きずってきました。おそらく師匠は、私にいずれタイトルを獲るような棋士になることを期待していたと思います。事実、生前師匠は、「タイトルを獲るくらいの強い棋士を育てたい、そして東海地区にタイトルを持ってきたい」とおっしゃられていましたし、その夢を私に託していたようにも思われます。
残念ながら、私の手ではその夢を果たせていませんが、師匠の孫弟子である藤井聡太が、今年大活躍をしてタイトルを持ち帰ってきてくれました。それは亡くなった師匠に対する恩返しでもあり、私自身も少しだけ肩の荷が軽くなったように思っています。

これからは、東海地区のプロ棋士の数を増やすことに力を注ぎたいと思っています。今プロを目指している門下生は全部で13人。藤井二冠のような素晴らしい棋士が誕生していますので、彼に続くようなプロ棋士を一人でも多くここから輩出することが私の一つの夢です。
Leader's Profile
 杉本 昌隆 Sugimoto Masataka

1968年11月生まれ。愛知県名古屋市出身。本格派振り飛車党で、とくに"相振り飛車"については棋界きっての研究家として知られている。2019年3月、第77期C級1組順位戦で9勝1敗の好成績でB級2組へ復帰昇級。50歳での棋士の昇級は史上4位の年長記録。Bクラスへの復帰昇級者は平成以降初で30年ぶりの快挙。「中年の星」と称される。トーナメントプロであると同時に執筆活動、テレビ出演、講演等もこなす。杉本昌隆将棋研究室を主宰し後進の育成にも力を注ぐ。門下に藤井聡太二冠、室田伊緒女流二段らがいる。将棋の戦術書の著作は15冊以上。著者初の文芸書「弟子、藤井聡太の学び方」では第30回将棋ペンクラブ大賞、文芸部門で大賞受賞。

取材後記

杉本昌隆八段の温かいお人柄がにじみ出ているお話しでした。インタビューの中で氏は、藤井聡太二冠をはじめとする弟子への接し方や指導方法を"哲学"として述べていらしたように思います。それを私なりに解釈をさせていただけば、「将棋は格闘技と一緒で、相手と向き合えば頼れるものは自分の力しかない。だからこそ、難局を乗り切る術を自分の頭で考えて、それを繰り返し試し、磨き上げることで必勝スタイルを確立すべきだ。それでも負けることがあるのだから、学ぶことを止めてはならない」ということになるでしょうか。そんな将棋との向き合い方を自らが続け、昨年、50歳にして八段昇段と名人戦順位戦B級2組昇級という偉業を達成した杉本八段。これからはトップ棋士としての活躍にも注目したいと思います。

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■記事公開日:2020/11/19 ■記事取材日: 2020/10/28 *記事内容は取材当日の情報です
▼構成=編集部 ▼文=編集部ライター・吉村高廣 ▼撮影=只野ヒロキ

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