企業における働き方の革新は、もはや制度の見直しにとどまらず、組織そのものの構造を変える局面に入っています。テレワークの普及、クラウド環境の整備、ジョブ型雇用の進展などにより、仕事は特定の場所や時間に縛られないものへと移行しつつあります。その象徴が、固定電話や固定席、さらにはフリーアドレスに伴うデスクトップPCといった"オフィス内の固定要素"が次々と姿を消している現実です。ところが、非固定化の潮流が加速しているにもかかわらず、オフィスを放棄する企業はありません。
非固定化の動きが進みながらも、企業が完全なリモートワークへ移行しないのはなぜか――キープレスで取材した企業事例などを見ると、その理由は3つ挙げることができます。
第1に、創造的な議論や意思決定の質を高めるためには、対面での情報共有が依然として有効だからです。確かにオンライン会議は効率的ですが、議論の熱量や臨場感、相互理解の深度という点では限界があります。
第2に、組織の土台となる信頼関係の構築には、偶発的なコミュニケーションが不可欠だからです。業務に必要な会話だけでは、組織文化やチームの一体感は育ちにくく、オフィスで自然発生する雑談や相談が担っていた役割をデジタル環境が完全に代替することは困難です。
第3に、社員育成の観点があります。OJT型育成を重視する日本企業においては、若手社員が先輩社員の働き方を間近で見ながら学ぶプロセスが依然として重視されています。教育用のデジタルツールも整備されつつありますが、職場というリアルな環境が持つ"学びの場"としての機能は代えがたいものがあります。
以上の3点を踏まえれば、企業が守り続けている「固定」とは、もはや物理的な設備ではないことは明らかです。成果を生む源泉は、最終的には"人と人の信頼に基づく協働"であり、その土台を育てる役割を担っているのがオフィスだからです。いま求められているのは、組織の目的や価値観を共有し、意思を束ねる"人間関係のインフラ"としての機能です。その役割をより発揮するために、多くの企業が偶発的な対話や共創を生み出すラウンジやコラボレーションスペースの整備を進めています。すなわち、企業がこれからも残すべき「固定」とは、人と人をつなぎ、信頼と学びを循環させる仕組みそのものなのです。
すでにオフィスは、「業務を行う場所」から「価値を共創する場」へと変化しつつあります。企業がオフィスを持つ意義も、単なる作業スペースの確保ではなく、自社のアイデンティティを共有する拠点を持つことへと変わりつつあります。重要なのは、「どこまでデジタル化できるか」ではなく、「何をあえてデジタルに置き換えないのか」を見極めること。オフィスの非固定化は効率を高める施策ではなく、新たな組織像を描くプロセスです。企業が何を"固定"として選び取るのか――その判断こそが、これからの競争力を左右していくはずです。

■記事公開日:2025/10/28
▼構成=編集部 ▼文=吉村高廣 ▼画像素材=Adobe Stock