「電話が鳴ったら、3回以内に取るのが新人の役目」。かつての企業は、それが暗黙の了解でした。今でこそ問題視されかねない文化ですが、古い体質の会社にはまだこうした風土が残っているようです。
以前、私が相談を受けた新入社員の方のケースを紹介します。
その方の家には固定電話がなく、受話器を取って応答する機会を得ずに育ちました。つまり固定電話は、これまで使ったことのない未知の機械だったのです。そればかりか、使い方が分からないだけでなく、職場のような大勢の人前で、知らない相手と話す行為自体に強い抵抗を感じていたそうです。
しかし、新人が電話を取らなければならない空気がある。上司からも、「おい、鳴ってるぞ」と催促されます。恐る恐る受話器を取っても、慣れない対応にしどろもどろになってしまい、挙句の果てには「電話くらいちゃんと出られるようになれよ!」と叱責される日々が。
そうしたことが続くと、次第に電話に出ること自体が怖くなり、出社しようとするとお腹が痛くなったり、電車の中で激しい動悸がしたりするようになったそうです。最終的には出社できなくなり、私のところに相談に来られた次第です。これは、固定電話を使った経験がない若い世代には、決して珍しくないケースなのです。
知らない人と話すのが怖い・・・
固定電話をさわったことがない若者たち
今や、家に固定電話がない家庭は多く、30代以下の保有率は1割を切っています。昭和や平成前半生まれの方なら「家に電話があるのは当たり前」ですが、今の若い世代は"固定電話"に触ったことがない」という人も少なくありません。したがって、会社のように誰からかかってくるかも分からない電話に出るのはハードルが高くなって当然です。
専門学校で講師をしていた知人から聞いた話で驚いたことがあります。
ビジネスマナーの一環で、電話の取り次ぎの授業をおこなっていたときのこと。オフィスにあるような固定電話で取り次ぎのしかたなどをレクチャーしたあと、「私あてに内線電話をかけてきてください」と伝えて職員室で待機していたところ、いつまでたっても電話がかかってきません。しびれを切らせて教室に戻ると、学生たちは固定電話を前に途方にくれており、「先生、電話のかけ方がわかりません」と。固定電話に触ったことがない学生たちは、受話器を取って、内線の番号を押すという当たり前の動作すらわからなかったのです。
電話が苦手に感じる大きな理由は、相手の顔が見えないことです。視覚情報がなく、声の調子だけで相手の状況を判断しようとするため、不安が増幅します。「忙しいのでは」、「迷惑だったかも」と想像が先走り、言葉が詰まりやすくなるのもそのためです。
また、対面やメールでは感じの良い人なのに、電話だと印象がガラリと変わることがあります。表情という手がかりがないため、緊張や不慣れさがそのまま態度(通話時の話しぶり)に出てしまうからです。
表情はコミュニケーションに大きな影響を与えます。たとえば、笑顔で叱られても怖さは感じませんが、無表情で褒められると皮肉に聞こえることがある。電話ではそうした視覚情報が完全に欠けるため、相手の真意が読み取りにくく、不安や威圧感につながるのです。つまり、電話を苦手に感じるのは、人間が本来"表情を手がかりに理解する生き物"である以上、ごく自然な反応だと言えるでしょう。
相手の顔が見えないと不安になる...
言葉のオウム返しがコミュニケーションの基本
人とのやり取りはキャッチボールにたとえられます。相手が受け取りやすいように投げ、返ってきたボールを受け止めて返す。この往復が、円滑なコミュニケーションの基本です。顔が見えない電話でも、この型は変わりません。
一方、すぐに打ち返すラリーになると意思の疎通ができません。相手の言葉を受け止めないまま話し始めると、「きちんと聞いてもらえなかった」という感情が残ってしまう。表情が分からない電話ではその印象がより強くなります。たとえば、部下から「この日、お休みを頂きたいのですが」と言われたとき、「ああ、有給を取りたいのね」と一度受け止めれば部下の気持ちは和らぎます。逆に、「え、なんで?」などと返してしまうと、部下の思いは宙に浮いたままです。
大切なのは、感情を受け止めてから返すこと。そのために有効なのが「くり返し」です。相手の言葉の一部をそのまま返すだけで、受け止められた安心感が生まれます。
若手社員が、「会議で意見が通らず落ち込みました」などとこぼしたときも同じです。そこですかさず、「まだ新人なんだから」と返してしまうのはNG。「会議で話すのは緊張するしね」といったん受け止め、「これからチャンスはいっぱいあるよ」と助言すれば、気持ちも言葉も届きやすくなります。この、"受け止めてから返す"余白を意識するだけで、電話の会話はぐっと落ち着き、気持ちも和らぎます。
Point公認心理師・大野萌子さんからの
メッセージ
電話をかける際、かける前から緊張し、相手が出た瞬間に頭が真っ白になる人がいます。とくに電話に慣れていない新人に多く見られる現象です。緊張を和らげるアドバイスを1つするなら、話す内容をあらかじめメモしておくことが有効です。ただし長文は通話中に読み切れないため、要点やキーワードに絞るほうが実用的です。メモがあれば言い忘れも防げます。
電話をかけた際に"冒頭のひと言"が出てこないという人もいます。その場合は、最初のひと言だけでも目の前に貼っておくと安心できます。私自身も電話相談の業務を始めたころは「最初に〇〇を確認する」といった必要事項を付箋に書き、常に見える場所に貼っていました。最初に言うべき言葉が決まっているだけで、パニックに陥らず落ち着いて通話を始められます。電話に慣れるまでは、こうした工夫を取り入れ、自分が話しやすい状態を整えることが大切です。
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■記事公開日:2026/03/30
▼構成=編集部 ▼取材・文=吉村高廣 ▼イラストレーション=吉田たつちか